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司馬師は北条義時に似ているような希ガス
待ってました!
なんという多大なご支援……感謝ッ……圧倒的感謝ッ……!!有り難き幸せに存じまする……!!
Thanks!
いつもご支援いただき、感謝感激でございます……!お陰様でもう一踏ん張り頑張れています!
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、有り難き……有り難き幸せェ!!有り難きご厚意、気合入りまくりですッ!!
しばふすき
曹操は献帝にしたことを、そっくりそのまま、司馬師、司馬昭が、曹芳、曹髦、曹奐にした。曹髦に至っては、弑逆。後に東晋の明帝がこの事を知り、「ああ!なぜ我が子孫が天寿を全うする事などできようか!」っと涙したと言いますね。
鳥人間さんの晋の話を聞きたかったんだ
魏って漢のような伝統の重さもないし、曹操の改革も後に引き継がれず、簒奪されてもあまり惜しまれない残念な王朝になってしまった感
皆さん書いてるけど三国志ものって、たいてい孔明死後は省略されるからライトファンは孔明病没までしか知らない・かもなあ三国志に興味持ち出したころ魏が勝つなら、劉備の国は魏だな晋って何処からきた?って認識だったなあ
司馬何とか同士が殺し合いまくりの乱を分かりやすく解説してもらえそうで胸熱です。
『ドキッ!丸ごと諸侯王 司馬だらけの内乱大会』
「グサりもあるでよ」
司馬師の簒奪は栄光と平穏の幕開けではなく更なる破滅と約300年に渡る地獄の幕開けなんだよな…
簒奪の過程がひどすぎた上に、司馬炎の本性を見抜いて廃嫡できなかったことが死後の事態を悪化させた。
魏晋南北朝時代とかいうけど後漢の滅亡から唐の建国までは長すぎる……日本で言えば倭奴国王の金印をもらった時代から、大化の改新までだよねこの数百年の混迷
魏も流入してくる異民族に対応出来たかとなると大変かも?
@@matukawatositane 曹操もかなり神経をとがらせていたらしく、息子の曹彰を烏桓族討伐に行かせたりしていましたね。
三国鼎立が終わり後の方に出てきたのが美味しいところを持って行ったと思ったら更なる大混乱の前の箸休めでしかないと言う…
すばやく戦地に赴き、戦地では戦わずに守りに徹するところとか、司馬懿の戦い方と似てますよね。
次回は皇帝をCした司馬昭かあ、オラワクワクしてきたぞ!
このシリーズ、ありがたいです。晋王朝成立から八王の乱、永嘉の乱へのつながり、カオスの時代・五胡十六国時代へと突入する流れ、学び直したく期待しています。
晋王朝成立→八王の乱→永嘉の乱の解説を「ちゃんと」「しっかり」やった配信者(動画)を見たことない。某「俺の世界史」チャンネルも「あっさり概略説明」からの「濃い批判」気味だし。UP主様に期待したいっす。
ローマ帝国で言うディオクレティアヌス→コンスタンティヌス王朝までの流れのデジャブ。
活動の期間が短くあまり知らなかった司馬師について知れて興味深く見させていただきました。続き楽しみにしてます。あとは不躾で申し訳足りません希望なのですが、続きとして司馬氏と晋の末路として八王、永嘉の乱についても語っていただけませんでしょうか。いまいちよく把握できていないので。御検討いただけると幸いです。
司馬孚の画像は芝生だろうなと思ってたら案の定で草というか芝はえた。アクの強い司馬ファミリーの良心であり、控えめで地味だけど好きなんです。郭太后のことは知りませんでした。卞皇后・甄夫人・郭皇后と、曹氏はしっかりした女性を妃に選んでますね。司馬父子の夫人たちもまた聡明。司馬衷くんも見習って、どうぞ。
芝生は草
司馬氏の簒奪(生き残り?)は、更なる混迷の序曲でしかなかったと。曹操「なんでや。なんでこうなったんや。」司馬懿「なんでや。なんでこうなったんや。」司馬炎「なんでや。なんでこうなったんや。」曹操・司馬懿「おい!!」
異民族が多すぎたあと長い戦乱を制覇した王朝は、秦も隋も長続きはしない、日本でも豊臣政権は長く続かなかった宋ぐらいかな?長年の乱を制した王朝は長続きしにくいらしい
スライム様>>長年の乱を制した王朝は長続きしにくいらしい多くの場合、長期戦乱というのは社会システムの大規模な組み換えに対応していることが多くて、それを乗り越えた統一政権というのは組み替わった新しい社会に新しい統治モデルを提示していることが多いです。秦、隋、織豊政権にはそういう性質があって、だからこそその「新しさ」を押し付ける無理を相当やってます。それ故に、こういう政権は長続きせず、その「新しさ」を社会の反応を見てマイナーチェンジした次世代政権が長続きしやすいです。前漢、唐、徳川幕府がそうですよね。長期の戦乱期をはさんではいませんが、王莽の新~後漢にもそういう性格があります。でも、ちょっと西晋は違う感じがするんですよね。一番わかりやすいのが、その次に長期政権が生まれずにより混乱した長期戦乱期に入っていることですね。まず第一に、前漢末期~新~後漢交代期から華北で新石器時代から続いていた邑制の社会、つまり都市国家的な囲郭集落を中心にした社会、都市国家的な囲郭集落に農民の共同体が暮らしていて、そのすぐ外の農地に耕作しに通う、という社会が解体し始めてます。囲郭集落から遠く離れたところに農具や金銭などの動産資本を蓄えた新興富裕層、つまり豪族が進出して、そこに農業労働者を集めて大規模経営のの農場を開拓し始めます。これが、邑制社会を掌握することで帝国を成立させていた漢王朝の統治システムを根底から掘り崩していきます。これが極限に達して「あれ、ひょっとして統一帝国って要らないんじゃない」とみんなが思った瞬間に一瞬にして統合が解けたのが、あの後漢末の戦乱です。第二に、その秩序崩壊の惨状によって、「やっぱり秩序の主催者って必要だよね」と再統合に向かい始めるのが三国時代なわけですが、邑制の秩序が解体してしまった社会をどう秩序立てていくのか、青写真がない状態でとりあえず軍事的に統合を成し遂げてみた、というのが曹魏~西晋です。だから、新しい社会を秩序立てていくべきプランは事実上皆無です。第三に、ちょうど後漢が解体してから曹魏と西晋による統合は成し遂げましたっていう3世紀には世界的な寒冷期が到来していて、北方モンゴル高原の遊牧世界と華北の畑作世界の両方で牧畜や農耕の生産が壊滅状態になって難民が大量発生します。よく北方の牧畜民の南下だけが指摘されますがそうではありません。華北の畑作民でも飢饉で追い詰められた人々が武装難民集団を形成して江南の水田稲作地帯になだれ込みます。つまり、邑制社会が解体したのに次いで、華北では遊牧民と畑作農耕民のハイブリッド社会、江南では畑作農耕民と水田稲作農耕民のハイブリッド社会の形成へ向かう大規模な社会変動が起きます。実は、西晋は非常に不安定でしたが、東晋には意外に安定性がありました。というのも、華北からの武装難民ベースの軍閥(北府)と華北からの武装難民への抵抗運動として先住の稲作農耕民がつくりあげた軍閥(西府)が北から亡命してきた司馬氏皇族をかついで王朝の与党になったからでした。
三国志の時代が人気すぎて三国志の後って紹介されることが少ないから助かります晋から五胡十六国時代へ向かうのありがとうございます。
勉強する前に中国の歴史年表を見て魏呉蜀の次が晋になっていたのを見たとき,「どうやって三国志,終ったの?晋,お前どっから出てきた」って感じになった。ぶっちゃけ三国志は何となく知っている人は多くても三国志が,どう終わったか知らない人は多そう。別の国が勝ちましたって物語のオチとしてみれば,すごい肩透かしですもん。
最後の晋まで含めて滅んでいたから逸話やドラマチックな場面、人物評が大好きな中国文化の実験場として好き勝手に語れる自由さが残った。日本でも斉藤、武田、宇喜多、松永など江戸期に残らない家については無限に逸話が生み出されてる。
春秋戦国時代、三国時代、五胡十六国時代、五代十国時代、乱世を平定し、長く治世を保ったのはいずれもポッと出の国だったのは興味深いね。
司馬昭の時間だあ!受け取ってくれよなー!❤
治世の能臣、乱世の奸雄って司馬懿も該当するよな。
動画アップお疲れ様です
三国志モノだと大体、仲達は孔明との諸々でフューチャーされるけど、劉禅降伏以降は飛ばし飛ばしで司馬炎にサラッと繋がるから、司馬師・昭ってあんまり知名度ないですよね。 拝見してて楽しかったです。
司馬氏回まじで待ってました。永嘉の乱まで突っ走ってください。
ThreeKingdomsで司馬懿が愛妾を毒殺してたけど、司馬師のエピソードだったんですね。また、クーデターに絡んでいたのは司馬昭で、当日知らされビックリは司馬師、と描かれてましたが、逆なんですね。ドラマでは後半は天意が蜀→魏、あるいは孔明→仲達に移っていくような描き方してたから、司馬懿→( )→司馬炎、の流れを強調するために師と昭を取り換えて描いたのかな。史実を知るとドラマも楽しめます。ありがとうございます。
次回も楽しみ!司馬孚は、ブリと同じくらい笑いました。
身内を排除して配下に簒奪される曹魏と身内を優遇して内乱で滅ぶ西晋。なかなか難しいものだな。そう考えると徳川家康はうまくやったと思う。
天下を取ったら邪魔になりそうなやつを片っ端から粛清しちゃう劉邦と朱元璋が正解w
@@user-Gifu_no_Zoukinya_san 真面目にこれが正解っぽいですよね
@@user-Gifu_no_Zoukinya_san ところが、部下を排しすぎると今度は身内で相争う羽目になるんだよな……まあ、逆もあるからこそ、そこは両方残してバランスとるしかないのか?
小大名寡頭支配体制ていう落としどころが面白いけど、島国的分断統治体制と考えると少しやりきれない感ありますね。
@@coldexp7189 さん身内も粛清しちゃえば・・・というのは冗談ですが。漢とか唐とか比較的長く続いた王朝は、皇后・外戚の専横で皇族を「整理」してたりするんですよね。それが天意なのか?と思うぐらい。賈南風がダメだったのは、途中で負けちゃったからかも。
曹丕 、曹叡、司馬朗、三人のうち誰かひとりでも長生きしてたら司馬氏の簒奪はなかったのかなあ……
曹丕の退場が早すぎる。治世10年はあやしいけど、20年なら確実に歴史は変わっている。
曹丕 、曹叡が長生きだったら、たぶん、司馬氏は魏の宰相を歴任する一族で終わっていたかもしれないね。
曹丕もしくは曹叡の退場がなぁ…(クソデカ溜息)
曹丕は後の趙宋時代に確立した皇帝独裁制の先駆けをなそうとしたが志半ばで40代で死んだのが痛い。
曹叡が、どこかの漢王朝の末裔さんのように司馬懿の手を取って、「もし曹芳に才能があれば彼を補佐し、そうでなければあなたが皇帝になってください」の一大パフォーマンスを打てば、あるいは…。
司馬師の諱が「師」であったために「京師」が「京都」と言い換えられたことが京都府や東京都の由来なので日本との関係もありますね
初めて聞きました。そうなんですか?
避諱(ひき)という慣習ですね。他人(特に君主)の名前を呼んだり書いたりするのは無礼なことだったのです。日本でも「方広寺鐘銘事件(国家安康)」が有名ですね。「京都」の由来「東アジアでは古来、歴史的に「天子様の住む都」「首都」を意味する普通名詞として京、京師が多く使用されていた。西晋時代に世宗の諱である「師」の文字を避けて京都というようになり、以後は京、京師、京都などの呼び名が用いられた。」(Wikipedia「京都」から引用)
@@shou-sho 避諱は知ってましたけど、京師は初耳でした。勉強になりました。
避諱の例をもう一つあげると、孫呉の都の建業ですかね。東晋の時代以降、愍帝司馬鄴の諱を避け建康と改名されました。
なんか話の大筋が鎌倉殿の13人に重なる気がする…司馬懿→北条時政司馬師→北条義時司馬昭→北条時房司馬炎→北条泰時
言われてみれば四人目が途中で堕落したかそうでなかったかが分かれ目か
司馬兄弟は権力闘争には強いが後漢の群雄や親父殿のような英雄的素質があるかと言われると首を傾げてしまうんだよな一族の権勢も既にオヤジが盤石なものとして整えていたしこの頃には蜀、呉も朝廷が腐敗し弱体化していたしな
5:16何晏じゃなくてカーンじゃねーかこれは最上級の歴史ギャグですね
三國志はめっちゃ好きなんだけど、最後は何か寂しい終わり方ですよね
……というか、三国志物の多くは孔明死後は端折っちゃう事が多いから、司馬一族の活躍はほとんど知られてないよね。
@@coldexp7189 しかも「最後の勝者」の「その後」が酷すぎて。。。ね。
横山光輝氏が孔明の死でほぼほぼ終わらせたのは正解。
まぁ歴史の流れでみると魏晋南北朝時代の前座の側面が強いからなぁ、どうしても終わり方が不穏になる司馬炎で切っても劉淵で切ってもスパッと終わらずどうしても迫り来る乱世に後ろ髪を引かれる形になる
北周が北斉を滅ぼしたのに隋が中華を再統一したのとそっくり。その隋は40年位で滅ぶしそこも似ている。
何か違うチョーシュー出てきたァー(笑)
司馬師はだんだん禅譲を視野に入れてくる代だけど郭太后もまだいるしなあ
魏(曹家)が漢王朝から簒奪して、同じ目にあっただけ。 司馬炎後の内乱の時って皇帝になる前は評判がいいのに皇帝になると政治が乱れてまた内乱に繋がっていたらしいな。
「どうして三国志系の創作は、孔明死後、ザックリバッサリと話が進むの?」「お前はホームアローン1、2を視聴した直後に4を視聴できるのか?」
2を視聴出来る強者。
次の動画まで司馬師お別れ
司馬一族の中で一番恐ろしいのは司馬懿でも司馬師でもなく司馬孚だと最近思うようになってきたな。高平陵の変においては一族の味方をしたくせに禅譲させられた曹奐には「臣は死ぬ日まで魏の臣下であり続ける」と手を取って言いっているようだが、司馬一族の中にも忠臣がいるというパフォーマンスを行っているようにしか見えない。その忠臣を演じる役者として選ばれた司馬孚がいることによって魏の政権下で司馬一族を根絶やしにできなかったのではないかと思うように最近なってるわ。
この考え方は現代に蘇った荀子ですわぁ
同感ですね。政敵は皇帝でも抹殺した司馬昭が誅殺しなかったというのは、そういう事でしょうね。
「司馬一族の中にも曹魏王朝に忠誠を尽そうとする者がいる」とアピールする必要があったのは当時の司馬一族の総帥たる司馬炎だった。司馬孚もむしろ司馬一族のイメージ維持にその言動を利用された、というのが近いかと思います。そこまで計算した上での司馬孚の行動であった可能性も否定できませんが・・・・・
一番長生き(93)
誰か忘れたけど司馬一族の一人が禅譲に際し「こんな馬鹿な事があっていいのか」と口走ったってのもあったな(こっちは首都追放の憂き目にあったらしいが)
続きが楽しみです(*^^*)いつもわかりやすくて楽しい解説ありがとうございますm(_ _)m
駄目だ、司馬孚が出る度に笑ってしまうw
今回、ダジャレに使えそうなネタ多いんよw
0:11Reckless fire! そう大胆に!魂に火を付けろ!
すでに不吉な一族の影が・・・
1:31饅頭の悪魔め!
鍾会、鄧艾の紹介が不穏w
やっぱり、三国時代の重職は録尚書事だよねー。この当時の録尚書事って日本の室町以降の関白の地位だから、丞相と録尚書事で外廷で政権を左右して、録尚書事で皇帝を通じて帝意を左右できるとなるとこれはね。
陳羣は録尚書事だったから政治権力ずっと握れてますもんね
動画アップ、いつもありがとうございます!
鳥人間さんもチェンソーマン見てるんですね☺️
やがて司馬昭・司馬炎父子の時代になる。
石勒君そんな陽キャじゃないでしょ…むしろ闇属性でしょ…
曹操は漢、司馬懿は魏を滅ぼす気はなかったんじゃあ(個人的感想)何進と曹爽が悪い
何進というより袁紹とかいうイカレ野郎が問題そう…
司馬懿から司馬炎まで、名前・廟号・諡号一覧司馬懿 高祖 宣帝司馬師 世宗 景帝司馬昭 太祖 文帝司馬炎 世祖 武帝
王朝の始祖と息子たちは優秀だったけど次がな…やっぱ三代目は難しいだな
ここまでうまいこと簒奪したやつの子孫が「米がなければ肉を食えばよいではないか」って言うってどういうことやねん
慢心
慢心、環境の違い
初めてコメントします~。西晋楽しみにしていました。西晋は王朝が出来上がる前がピークという感じですね。出来上がった後は別のピークが待ってるけど。司馬昭の動画も楽しみにしてます~
みんな大好き五胡十六国のさきがけ、八王の乱まで、しばし(司馬師だけに)お待ちあれと言うところかな続きに期待!
鳥人間さんの三国志解説楽しみにしてました!いつか蜀や呉の解説も見たいので楽しみにしております☺
秀吉が信長のバカ息子たちを旗印にうまく利用したのと似ていますなー。
董卓も務めた名誉ある(笑)相国。日本だと太政大臣にあたりますね。
あまり紹介されない司馬師だけど、かなり有能な人物だと再認識。最期のひと踏ん張りが指揮を早めてしまったのが残念と思わせてくれるほどの実務家だった。彼が生きていたらその後はどうなってたんだろうと妄想する。結局簒奪はしたろうけど。
指揮したが故の死期
祝日の投稿ありがとうございます!司馬師ってなんか凄い死に方だったような、と思っていたら目の傷だったんですね。この頃に目玉といえば夏侯惇がすぐ思い浮かびますが、どれだけ苦しんだやら(傷が塞がった後も含めて)想像もつきません。日本の軍記物だと度々、「内甲」(うちかぶと。顔面)を射るとか突くとかいう描写があって、武装している以上は当然なんでしょうが、そういう部分を狙うのが戦法なんだなと。世界のどこだろうと、前線に立つ将兵は顔と言わず身体と言わず傷だらけだったんでしょうね。不具となった人々がどう生きたのか、制度化された補償でもあったのか、時々そういうことが気になります。
昔のコーエーの雑誌に「目の下のコブを『もったいない』と言って食べる司馬師」なんてネタがありました。
この辺りは教科書に載ってないのでとてもありがたいです曹操の九品中正法からいきなり司馬炎の晋が爆誕ですからね魏がなくなって呉があるのも疑問だったのに何の説明もないし
西晋建国の経緯を考えたら司馬一族を悪と見るのも尤もだと思ったが世界史全体では日常茶飯事だったわ
魏王家を弾圧して実権を奪ったのは司馬懿と弟の司馬昭だもの。司馬師は親父を継いだだけであまり印象にない。ただ、八王の乱の元を作ったのも司馬懿と司馬昭と司馬炎の司馬家3代。魏王家の呪いと、3代の略奪欲を司馬炎の息子たちが受け継いじゃったのが八王の乱の原因だな。
まじか?来たのか?来たんだ
司馬、公孫、欧陽、皇甫、夏侯、諸葛など二文字姓はだいたい名門のイメージあと、ゆっくりの元ネタでもある東方も二文字姓のひとつだったりする
やっぱり、その後の三國志も面白いな!次回の皇帝殺しの司馬昭って不穏なタイトルもワクワクするもんなぁ。司馬懿司馬師司馬昭司馬炎まではかなり優秀だもんな。ただ、その後は、、、😱
司馬懿に野心を芽生えさせた曹爽の罪は重いな。天子を奉じて徹底抗戦してれば司馬師の簒奪は起こらなかった。
西晋動画の投稿ありがとうございます。今回は司馬師編でしたが次回の司馬昭編も楽しみにお待ちしております。
人物評というのは、どこまで当てになるんですかね
ここ死ぬほど笑った😂7:21
三国時代、蜀の劉備は永眠する直前に孔明に「自分の息子に蜀を治める度量が無ければ、貴方が治めてくれ」という話を聞いた事があるが、魏も曹丕以降早逝なら司馬氏が実権を握るのもやむ無しという事か。曹操ほどの有能な統治者が何故自分の子孫を脅かす人間を登用していたか疑問だった。
曹操は司馬懿を敬遠してたイメージ。曹丕が悪い
三国志目ん玉エピソードすごいな
⬆️有能そうな名前やな。日本を救って欲しい。
司馬孚が芝生で草()
曹爽・曹義兄弟がtheボンボンで取り巻きも実績のないボンボンでそりゃダメだろうと。
こんな頑張って簒奪したのに😢
やっぱり司馬一族好きになれんなぁ~明公とか言ってるの見て、盗人猛々しいなぁって思った。でも、まあ、この後その報いを受けたから良いのか。最も地獄の始まりだったけど。
因果応報。簒奪は繰り返される。
信長もそうなんだけど家臣を実力主義にすると2代目以降で司馬懿や秀吉みたいな奴に簒奪されちゃう🤔
だから、天下取った後に部下の大粛清しちゃうんですね。狡兎死して走狗烹らる……
@@coldexp7189 なるほど。
信長の場合は本能寺の変で信忠が死んでなければ、秀吉に乗っ取られる事も無かったと思いますね家督も継いでたし、武田を滅ぼすという実績もあげてましたから流石に信忠に逆らうことは難しかったと思います
@@木村博士 会社でいうなら会長と社長が同時に亡くなったのも同然ですからね。
司馬懿は、司馬師と司馬昭という優秀な跡継息子に恵まれたのだけど、合計9人いた息子の中でまとも(?)だったのはこの二人だけで、その他は無害どころか、西晋を崩壊させる愚行をしでかす奴が出てきてしまう・・(司馬亮や司馬倫)。
司馬倫は晋の皇族以前に名門・河内司馬氏の一族なのに無学文盲だったらしい。これで皇位を簒奪してはめちゃめちゃになるのも当然。
司馬倫なんて書物が読めなかったぐらいに学がないとか、本当に司馬懿の子かよ?と疑いたくなるレベル。まあ、司馬懿がかなりの晩年の時に生まれた子だから「種」が色々劣化してたんかなぁ?w
晋の皇室で文盲が多いのは自分で読み書きする必要が無かったからではないでしょうか。書物は人に読ませ内容を知り、文書も言葉で伝え書かすことができる地位にいますから。文学的作品があるのは、素行が悪くて父親から「お前にあとは継がせない。」と言われた司馬彪ぐらいかな。
@@遠江少納言 司馬懿の兄弟は八達とか言われてて、ほぼ優秀だったはずなんですよねえ(兄弟が何人いたはわからないから全員優秀かはわからない)司馬懿の息子9人の内7人がはずれとなると司馬懿の嫁が原因???
マイナーではありますが師、昭以外にも司馬懿の六男の司馬駿は軍事、内政共に実績残してます。異民族に対する抑えがメインなので非常に地味ですが亮は凡人、倫は概ねその通りですね
三国志最強の司馬懿がどうして演義ではへなちょこなのか
演技で司馬懿へなちょこなんて事実は無い
曹丕と司馬懿信長と秀吉信長と家康三好長慶と松永久秀高杉晋作、木戸孝允と伊藤井上山縣などの関係は歴史のIFとして気になりますね。特に曹丕と司馬懿は最強の2人になったと思うんだけど。
曹丕はもう少し長生きしてくれれば曹魏も変わったと思うけど、曹丕は後継者争いで身内を排除し過ぎてしまったとも思う。
あ、これ、前中後編の3部作になるやつだ(推理
10:44合肥(ガッピ)を「ゴウヒ」と読むとは・・・・なんという違和感!
司馬懿は父に厳しく育てられ、父を恐れていたが、司馬懿の教育はどうだったのだろう、司馬懿の正室が、側室にうつつを抜かす夫に、ハンストで抗議した際に弟と共に参加し、司馬懿が泣きついて撤回したが、司馬懿の父としての権威はかなり低いと思う。
司馬懿の奥さん、「しばちゅうさん」という漫画の所為で春華(はるか)ちゃんのイメージで固定されてしまった私。
後の賈充ほどではないけど嫁さんの尻に敷かれている感じがします😅
曹王朝も簒奪やし正統なのは、漢のみ。司馬が皇帝になっても元が可笑しいから何でも有りなのでは?
劉備「せやな」劉淵「せやせや」
あっ、目が飛び出て死んだ人。投稿お疲れ様です!
しばし待たれよ!ビールが美味いです!
八王の乱くるかな
中国制作のThree Kingdomでは、高平陵の変の際、兄の司馬師が寝耳に水の話にビックリしてて、弟の司馬昭が最初から計画に参加してましたが、史実は逆だったんですね。司馬師に男の子の後継者がいたら、後の晋王朝の寿命ももう少し延びたのかもしれませんが、いなかったせいで親戚関係がごちゃごちゃになるんですよね。
休日の夕方に鳥人間さんの新着動画見れて幸せ面白かったです!
こちらこそ動画を視聴していただきまして、感謝感激です……!!ご厚意、恐悦至極に存じますッ!!
あれ?「磊磊落落」だった希ガス・・・あ、「豪放磊落」の文献もあるのですね。失礼いたしました。
つまるところ弟の司馬昭が晋公に任命されて以後が晋の時代であり、司馬師は「晋時代の幕明け」を見る事無く死んだと。
0:10 さりげないReckless Fireネタありがとうございます😂 やはりスクライドは男の子のバイブル😁
魏から晋に変わる間も割と激動なので皆が思うほどつまらないとは自分は感じませんでしたね一番は司馬懿と仲が良かった曹丕が早く亡くなったのが痛かったですねあと対抗馬の曹爽本人がかなりアレだったというか、ドジ踏みすぎたというか…w
この後の大混乱考えると。曹操が禅譲を受ける曹丕が長生きして司馬懿と無双するのどちらかなら良かったのにと考えてしまいますね。
高平陵の変で、司馬懿に降伏する曹爽と曹羲兄弟はというと、楽観的に考えていた。曹爽「司馬仲達殿は、私の権勢を奪いたいと思っているだけだ。私は解任されたが、侯の地位は失っていないから、今後も富貴でいられるだろう」桓範「曹子丹は、優れた御方だった…。だが、お前等兄弟は豚か子牛にでも生まれたのか!お前等の所為で、族滅の憂き目に遭うとは思いもしなかったわ❗」………曹爽「桓範は、何故あんなに苛立っているのか?」曹羲「さぁ…しかし司馬仲達殿が、我等を本気で殺すとは思えませんが」
そう、「がっぴ」じゃないとしっくりしないんですよ。
私も、「ごうひ」だと「求肥(ぎゅうひ)」っぽく感じちゃってなぁ……
でも正直な話日本語の正しい読みって何なんだろうって思ってしまうんですよね元々の合肥の読みって中国の発音ですから、[がっぴ]でも[ごうひ]でもないわけで…夏侯惇が[とん]か]じゅん]かもどっちが正しいってどうやって判断してるんでしょうね
司馬師は北条義時に似ているような希ガス
待ってました!
なんという多大なご支援……感謝ッ……圧倒的感謝ッ……!!
有り難き幸せに存じまする……!!
Thanks!
いつもご支援いただき、感謝感激でございます……!
お陰様でもう一踏ん張り頑張れています!
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、有り難き……有り難き幸せェ!!
有り難きご厚意、気合入りまくりですッ!!
しばふすき
曹操は献帝にしたことを、そっくりそのまま、司馬師、司馬昭が、曹芳、曹髦、曹奐にした。
曹髦に至っては、弑逆。後に東晋の明帝がこの事を知り、「ああ!なぜ我が子孫が天寿を全うする事などできようか!」っと涙したと言いますね。
鳥人間さんの晋の話を聞きたかったんだ
魏って漢のような伝統の重さもないし、曹操の改革も後に引き継がれず、簒奪
されてもあまり惜しまれない残念な王朝になってしまった感
皆さん書いてるけど
三国志ものって、たいてい孔明死後は省略されるから
ライトファンは孔明病没までしか知らない・かもなあ
三国志に興味持ち出したころ
魏が勝つなら、劉備の国は魏だな
晋って何処からきた?
って認識だったなあ
司馬何とか同士が殺し合いまくりの乱を分かりやすく解説してもらえそうで胸熱です。
『ドキッ!丸ごと諸侯王 司馬だらけの内乱大会』
「グサりもあるでよ」
司馬師の簒奪は栄光と平穏の幕開けではなく更なる破滅と約300年に渡る地獄の幕開けなんだよな…
簒奪の過程がひどすぎた上に、司馬炎の本性を見抜いて廃嫡できなかったことが死後の事態を悪化させた。
魏晋南北朝時代とかいうけど後漢の滅亡から唐の建国までは長すぎる……
日本で言えば倭奴国王の金印をもらった時代から、大化の改新までだよねこの数百年の混迷
魏も流入してくる異民族に対応出来たかとなると大変かも?
@@matukawatositane 曹操もかなり神経をとがらせていたらしく、息子の曹彰を烏桓族討伐に行かせたりしていましたね。
三国鼎立が終わり後の方に出てきたのが美味しいところを持って行ったと思ったら
更なる大混乱の前の箸休めでしかないと言う…
すばやく戦地に赴き、戦地では戦わずに守りに徹するところとか、司馬懿の戦い方と似てますよね。
次回は皇帝をCした司馬昭かあ、オラワクワクしてきたぞ!
このシリーズ、ありがたいです。
晋王朝成立から八王の乱、永嘉の乱へのつながり、カオスの時代・五胡十六国時代へと突入する流れ、学び直したく期待しています。
晋王朝成立→八王の乱→永嘉の乱の解説を「ちゃんと」「しっかり」やった配信者(動画)を見たことない。
某「俺の世界史」チャンネルも「あっさり概略説明」からの「濃い批判」気味だし。
UP主様に期待したいっす。
ローマ帝国で言うディオクレティアヌス→コンスタンティヌス王朝までの流れのデジャブ。
活動の期間が短くあまり知らなかった司馬師について知れて興味深く見させていただきました。続き楽しみにしてます。
あとは不躾で申し訳足りません希望なのですが、続きとして司馬氏と晋の末路として八王、永嘉の乱についても語っていただけませんでしょうか。いまいちよく把握できていないので。
御検討いただけると幸いです。
司馬孚の画像は芝生だろうなと思ってたら案の定で草というか芝はえた。アクの強い司馬ファミリーの良心であり、控えめで地味だけど好きなんです。
郭太后のことは知りませんでした。卞皇后・甄夫人・郭皇后と、曹氏はしっかりした女性を妃に選んでますね。司馬父子の夫人たちもまた聡明。司馬衷くんも見習って、どうぞ。
芝生は草
司馬氏の簒奪(生き残り?)は、更なる混迷の序曲でしかなかったと。
曹操「なんでや。なんでこうなったんや。」
司馬懿「なんでや。なんでこうなったんや。」
司馬炎「なんでや。なんでこうなったんや。」
曹操・司馬懿「おい!!」
異民族が多すぎた
あと長い戦乱を制覇した王朝は、秦も隋も長続きはしない、日本でも豊臣政権は長く続かなかった
宋ぐらいかな?長年の乱を制した王朝は長続きしにくいらしい
スライム様
>>長年の乱を制した王朝は長続きしにくいらしい
多くの場合、長期戦乱というのは社会システムの大規模な組み換えに対応していることが多くて、それを乗り越えた統一政権というのは組み替わった新しい社会に新しい統治モデルを提示していることが多いです。秦、隋、織豊政権にはそういう性質があって、だからこそその「新しさ」を押し付ける無理を相当やってます。それ故に、こういう政権は長続きせず、その「新しさ」を社会の反応を見てマイナーチェンジした次世代政権が長続きしやすいです。前漢、唐、徳川幕府がそうですよね。長期の戦乱期をはさんではいませんが、王莽の新~後漢にもそういう性格があります。
でも、ちょっと西晋は違う感じがするんですよね。一番わかりやすいのが、その次に長期政権が生まれずにより混乱した長期戦乱期に入っていることですね。
まず第一に、前漢末期~新~後漢交代期から華北で新石器時代から続いていた邑制の社会、つまり都市国家的な囲郭集落を中心にした社会、都市国家的な囲郭集落に農民の共同体が暮らしていて、そのすぐ外の農地に耕作しに通う、という社会が解体し始めてます。囲郭集落から遠く離れたところに農具や金銭などの動産資本を蓄えた新興富裕層、つまり豪族が進出して、そこに農業労働者を集めて大規模経営のの農場を開拓し始めます。これが、邑制社会を掌握することで帝国を成立させていた漢王朝の統治システムを根底から掘り崩していきます。これが極限に達して「あれ、ひょっとして統一帝国って要らないんじゃない」とみんなが思った瞬間に一瞬にして統合が解けたのが、あの後漢末の戦乱です。
第二に、その秩序崩壊の惨状によって、「やっぱり秩序の主催者って必要だよね」と再統合に向かい始めるのが三国時代なわけですが、邑制の秩序が解体してしまった社会をどう秩序立てていくのか、青写真がない状態でとりあえず軍事的に統合を成し遂げてみた、というのが曹魏~西晋です。だから、新しい社会を秩序立てていくべきプランは事実上皆無です。
第三に、ちょうど後漢が解体してから曹魏と西晋による統合は成し遂げましたっていう3世紀には世界的な寒冷期が到来していて、北方モンゴル高原の遊牧世界と華北の畑作世界の両方で牧畜や農耕の生産が壊滅状態になって難民が大量発生します。よく北方の牧畜民の南下だけが指摘されますがそうではありません。華北の畑作民でも飢饉で追い詰められた人々が武装難民集団を形成して江南の水田稲作地帯になだれ込みます。つまり、邑制社会が解体したのに次いで、華北では遊牧民と畑作農耕民のハイブリッド社会、江南では畑作農耕民と水田稲作農耕民のハイブリッド社会の形成へ向かう大規模な社会変動が起きます。
実は、西晋は非常に不安定でしたが、東晋には意外に安定性がありました。というのも、華北からの武装難民ベースの軍閥(北府)と華北からの武装難民への抵抗運動として先住の稲作農耕民がつくりあげた軍閥(西府)が北から亡命してきた司馬氏皇族をかついで王朝の与党になったからでした。
三国志の時代が人気すぎて三国志の後って紹介されることが少ないから助かります
晋から五胡十六国時代へ向かうのありがとうございます。
勉強する前に中国の歴史年表を見て魏呉蜀の次が晋になっていたのを見たとき,「どうやって三国志,終ったの?晋,お前どっから出てきた」って感じになった。
ぶっちゃけ三国志は何となく知っている人は多くても三国志が,どう終わったか知らない人は多そう。別の国が勝ちましたって物語のオチとしてみれば,すごい肩透かしですもん。
最後の晋まで含めて滅んでいたから
逸話やドラマチックな場面、人物評が
大好きな中国文化の実験場として
好き勝手に語れる自由さが残った。
日本でも斉藤、武田、宇喜多、松永など
江戸期に残らない家については無限に逸話が生み出されてる。
春秋戦国時代、三国時代、五胡十六国時代、五代十国時代、
乱世を平定し、長く治世を保ったのはいずれもポッと出の国だったのは興味深いね。
司馬昭の時間だあ!受け取ってくれよなー!❤
治世の能臣、乱世の奸雄って司馬懿も該当するよな。
動画アップお疲れ様です
三国志モノだと大体、仲達は孔明との諸々でフューチャーされるけど、劉禅降伏以降は飛ばし飛ばしで司馬炎にサラッと繋がるから、司馬師・昭ってあんまり知名度ないですよね。
拝見してて楽しかったです。
司馬氏回まじで待ってました。永嘉の乱まで突っ走ってください。
ThreeKingdomsで司馬懿が愛妾を毒殺してたけど、司馬師のエピソードだったんですね。また、クーデターに絡んでいたのは司馬昭で、当日知らされビックリは司馬師、と描かれてましたが、逆なんですね。ドラマでは後半は天意が蜀→魏、あるいは孔明→仲達に移っていくような描き方してたから、司馬懿→( )→司馬炎、の流れを強調するために師と昭を取り換えて描いたのかな。史実を知るとドラマも楽しめます。ありがとうございます。
次回も楽しみ!
司馬孚は、ブリと同じくらい笑いました。
身内を排除して配下に簒奪される曹魏と身内を優遇して内乱で滅ぶ西晋。
なかなか難しいものだな。
そう考えると徳川家康はうまくやったと思う。
天下を取ったら邪魔になりそうなやつを片っ端から粛清しちゃう劉邦と朱元璋が正解w
@@user-Gifu_no_Zoukinya_san 真面目にこれが正解っぽいですよね
@@user-Gifu_no_Zoukinya_san ところが、部下を排しすぎると今度は身内で相争う羽目になるんだよな……
まあ、逆もあるからこそ、そこは両方残してバランスとるしかないのか?
小大名寡頭支配体制ていう落としどころが
面白いけど、島国的分断統治体制と考えると少しやりきれない感ありますね。
@@coldexp7189 さん
身内も粛清しちゃえば・・・というのは冗談ですが。
漢とか唐とか比較的長く続いた王朝は、皇后・外戚の専横で皇族を「整理」してたりするんですよね。
それが天意なのか?と思うぐらい。
賈南風がダメだったのは、途中で負けちゃったからかも。
曹丕 、曹叡、司馬朗、三人のうち誰かひとりでも長生きしてたら司馬氏の簒奪はなかったのかなあ……
曹丕の退場が早すぎる。治世10年はあやしいけど、20年なら確実に歴史は変わっている。
曹丕 、曹叡が長生きだったら、たぶん、司馬氏は魏の宰相を歴任する一族で終わっていたかもしれないね。
曹丕もしくは曹叡の退場がなぁ…(クソデカ溜息)
曹丕は後の趙宋時代に確立した皇帝独裁制の先駆けをなそうとしたが志半ばで40代で死んだのが痛い。
曹叡が、どこかの漢王朝の末裔さんのように司馬懿の手を取って、
「もし曹芳に才能があれば彼を補佐し、そうでなければあなたが皇帝になってください」
の一大パフォーマンスを打てば、あるいは…。
司馬師の諱が「師」であったために「京師」が「京都」と言い換えられたことが京都府や東京都の由来なので日本との関係もありますね
初めて聞きました。そうなんですか?
避諱(ひき)という慣習ですね。他人(特に君主)の名前を呼んだり書いたりするのは無礼なことだったのです。日本でも「方広寺鐘銘事件(国家安康)」が有名ですね。
「京都」の由来
「東アジアでは古来、歴史的に「天子様の住む都」「首都」を意味する普通名詞として京、京師が多く使用されていた。西晋時代に世宗の諱である「師」の文字を避けて京都というようになり、以後は京、京師、京都などの呼び名が用いられた。」(Wikipedia「京都」から引用)
@@shou-sho 避諱は知ってましたけど、京師は初耳でした。勉強になりました。
避諱の例をもう一つあげると、孫呉の都の建業ですかね。
東晋の時代以降、愍帝司馬鄴の諱を避け建康と改名されました。
なんか話の大筋が鎌倉殿の13人に重なる気がする…
司馬懿→北条時政
司馬師→北条義時
司馬昭→北条時房
司馬炎→北条泰時
言われてみれば
四人目が途中で堕落したかそうでなかったかが分かれ目か
司馬兄弟は権力闘争には強いが後漢の群雄や親父殿のような英雄的素質があるかと言われると
首を傾げてしまうんだよな
一族の権勢も既にオヤジが盤石なものとして整えていたし
この頃には蜀、呉も朝廷が腐敗し弱体化していたしな
5:16
何晏じゃなくてカーンじゃねーか
これは最上級の歴史ギャグですね
三國志はめっちゃ好きなんだけど、最後は何か寂しい終わり方ですよね
……というか、三国志物の多くは孔明死後は端折っちゃう事が多いから、司馬一族の活躍はほとんど知られてないよね。
@@coldexp7189 しかも「最後の勝者」の「その後」が酷すぎて。。。ね。
横山光輝氏が孔明の死でほぼほぼ終わらせたのは正解。
まぁ歴史の流れでみると魏晋南北朝時代の前座の側面が強いからなぁ、どうしても終わり方が不穏になる
司馬炎で切っても劉淵で切ってもスパッと終わらずどうしても迫り来る乱世に後ろ髪を引かれる形になる
北周が北斉を滅ぼしたのに隋が中華を再統一したのとそっくり。その隋は40年位で滅ぶしそこも似ている。
何か違うチョーシュー出てきたァー(笑)
司馬師はだんだん禅譲を視野に入れてくる代だけど郭太后もまだいるしなあ
魏(曹家)が漢王朝から簒奪して、同じ目にあっただけ。 司馬炎後の内乱の時って皇帝になる前は評判がいいのに皇帝になると政治が乱れてまた内乱に繋がっていたらしいな。
「どうして三国志系の創作は、孔明死後、ザックリバッサリと話が進むの?」
「お前はホームアローン1、2を視聴した直後に4を視聴できるのか?」
2を視聴出来る強者。
次の動画まで司馬師お別れ
司馬一族の中で一番恐ろしいのは司馬懿でも司馬師でもなく司馬孚だと最近思うようになってきたな。
高平陵の変においては一族の味方をしたくせに禅譲させられた曹奐には「臣は死ぬ日まで魏の臣下であり続ける」と手を取って言いっているようだが、司馬一族の中にも忠臣がいるというパフォーマンスを行っているようにしか見えない。
その忠臣を演じる役者として選ばれた司馬孚がいることによって魏の政権下で司馬一族を根絶やしにできなかったのではないかと思うように最近なってるわ。
この考え方は現代に蘇った荀子ですわぁ
同感ですね。
政敵は皇帝でも抹殺した司馬昭が誅殺しなかったというのは、そういう事でしょうね。
「司馬一族の中にも曹魏王朝に忠誠を尽そうとする者がいる」とアピールする必要があったのは当時の司馬一族の総帥たる司馬炎だった。
司馬孚もむしろ司馬一族のイメージ維持にその言動を利用された、というのが近いかと思います。
そこまで計算した上での司馬孚の行動であった可能性も否定できませんが・・・・・
一番長生き(93)
誰か忘れたけど司馬一族の一人が禅譲に際し「こんな馬鹿な事があっていいのか」と口走ったってのもあったな
(こっちは首都追放の憂き目にあったらしいが)
続きが楽しみです(*^^*)いつもわかりやすくて楽しい解説ありがとうございますm(_ _)m
駄目だ、司馬孚が出る度に笑ってしまうw
今回、ダジャレに使えそうなネタ多いんよw
0:11
Reckless fire! そう大胆に!魂に火を付けろ!
すでに不吉な一族の影が・・・
1:31
饅頭の悪魔め!
鍾会、鄧艾の紹介が不穏w
やっぱり、三国時代の重職は録尚書事だよねー。この当時の録尚書事って日本の室町以降の関白の地位だから、丞相と録尚書事で外廷で政権を左右して、録尚書事で皇帝を通じて帝意を左右できるとなるとこれはね。
陳羣は録尚書事だったから政治権力ずっと握れてますもんね
動画アップ、いつもありがとうございます!
鳥人間さんもチェンソーマン見てるんですね☺️
やがて司馬昭・司馬炎父子の時代になる。
石勒君そんな陽キャじゃないでしょ…むしろ闇属性でしょ…
曹操は漢、司馬懿は魏を滅ぼす気はなかったんじゃあ(個人的感想)
何進と曹爽が悪い
何進というより袁紹とかいうイカレ野郎が問題そう…
司馬懿から司馬炎まで、名前・廟号・諡号一覧
司馬懿 高祖 宣帝
司馬師 世宗 景帝
司馬昭 太祖 文帝
司馬炎 世祖 武帝
王朝の始祖と息子たちは優秀だったけど次がな…やっぱ三代目は難しいだな
ここまでうまいこと簒奪したやつの子孫が「米がなければ肉を食えばよいではないか」って言うってどういうことやねん
慢心
慢心、環境の違い
初めてコメントします~。西晋楽しみにしていました。
西晋は王朝が出来上がる前がピークという感じですね。出来上がった後は別のピークが待ってるけど。
司馬昭の動画も楽しみにしてます~
みんな大好き五胡十六国のさきがけ、八王の乱まで、しばし(司馬師だけに)お待ちあれと言うところかな続きに期待!
鳥人間さんの三国志解説楽しみにしてました!
いつか蜀や呉の解説も見たいので楽しみにしております☺
秀吉が信長のバカ息子たちを旗印にうまく利用したのと似ていますなー。
董卓も務めた名誉ある(笑)相国。日本だと太政大臣にあたりますね。
あまり紹介されない司馬師だけど、かなり有能な人物だと再認識。最期のひと踏ん張りが指揮を早めてしまったのが残念と思わせてくれるほどの実務家だった。彼が生きていたらその後はどうなってたんだろうと妄想する。結局簒奪はしたろうけど。
指揮したが故の死期
祝日の投稿ありがとうございます!
司馬師ってなんか凄い死に方だったような、と思っていたら目の傷だったんですね。この頃に目玉といえば夏侯惇がすぐ思い浮かびますが、どれだけ苦しんだやら(傷が塞がった後も含めて)想像もつきません。
日本の軍記物だと度々、「内甲」(うちかぶと。顔面)を射るとか突くとかいう描写があって、武装している以上は当然なんでしょうが、そういう部分を狙うのが戦法なんだなと。
世界のどこだろうと、前線に立つ将兵は顔と言わず身体と言わず傷だらけだったんでしょうね。不具となった人々がどう生きたのか、制度化された補償でもあったのか、時々そういうことが気になります。
昔のコーエーの雑誌に「目の下のコブを『もったいない』と言って食べる司馬師」なんてネタがありました。
この辺りは教科書に載ってないのでとてもありがたいです
曹操の九品中正法からいきなり司馬炎の晋が爆誕ですからね
魏がなくなって呉があるのも疑問だったのに何の説明もないし
西晋建国の経緯を考えたら
司馬一族を悪と見るのも尤もだと思ったが
世界史全体では日常茶飯事だったわ
魏王家を弾圧して実権を奪ったのは司馬懿と弟の司馬昭だもの。
司馬師は親父を継いだだけであまり印象にない。
ただ、八王の乱の元を作ったのも司馬懿と司馬昭と司馬炎の司馬家3代。
魏王家の呪いと、3代の略奪欲を司馬炎の息子たちが受け継いじゃったのが八王の乱の原因だな。
まじか?来たのか?来たんだ
司馬、公孫、欧陽、皇甫、夏侯、諸葛など二文字姓はだいたい名門のイメージ
あと、ゆっくりの元ネタでもある東方も二文字姓のひとつだったりする
やっぱり、その後の三國志も面白いな!次回の皇帝殺しの司馬昭って不穏なタイトルもワクワクするもんなぁ。司馬懿司馬師司馬昭司馬炎まではかなり優秀だもんな。ただ、その後は、、、😱
司馬懿に野心を芽生えさせた曹爽の罪は重いな。
天子を奉じて徹底抗戦してれば司馬師の簒奪は起こらなかった。
西晋動画の投稿ありがとうございます。
今回は司馬師編でしたが次回の司馬昭編も楽しみにお待ちしております。
人物評というのは、どこまで当てになるんですかね
ここ死ぬほど笑った😂7:21
三国時代、蜀の劉備は永眠する直前に孔明に「自分の息子に蜀を治める度量が無ければ、貴方が治めてくれ」という話を聞いた事があるが、魏も曹丕以降早逝なら司馬氏が実権を握るのもやむ無しという事か。曹操ほどの有能な統治者が何故自分の子孫を脅かす人間を登用していたか疑問だった。
曹操は司馬懿を敬遠してたイメージ。曹丕が悪い
三国志目ん玉エピソードすごいな
⬆️有能そうな名前やな。
日本を救って欲しい。
司馬孚が芝生で草()
曹爽・曹義兄弟がtheボンボンで取り巻きも実績のないボンボンでそりゃダメだろうと。
こんな頑張って簒奪したのに😢
やっぱり司馬一族好きになれんなぁ~
明公とか言ってるの見て、
盗人猛々しいなぁって思った。
でも、まあ、この後その報いを受けたから
良いのか。
最も地獄の始まりだったけど。
因果応報。簒奪は繰り返される。
信長もそうなんだけど家臣を実力主義にすると2代目以降で司馬懿や秀吉みたいな奴に簒奪されちゃう🤔
だから、天下取った後に部下の大粛清しちゃうんですね。狡兎死して走狗烹らる……
@@coldexp7189 なるほど。
信長の場合は本能寺の変で信忠が死んでなければ、秀吉に乗っ取られる事も無かったと思いますね
家督も継いでたし、武田を滅ぼすという実績もあげてましたから流石に信忠に逆らうことは難しかったと思います
@@木村博士 会社でいうなら会長と社長が同時に亡くなったのも同然ですからね。
司馬懿は、司馬師と司馬昭という優秀な跡継息子に恵まれたのだけど、合計9人いた息子の中でまとも(?)だったのはこの二人だけで、その他は無害どころか、西晋を崩壊させる愚行をしでかす奴が出てきてしまう・・(司馬亮や司馬倫)。
司馬倫は晋の皇族以前に名門・河内司馬氏の一族なのに無学文盲だったらしい。これで皇位を簒奪してはめちゃめちゃになるのも当然。
司馬倫なんて書物が読めなかったぐらいに学がないとか、本当に司馬懿の子かよ?と疑いたくなるレベル。
まあ、司馬懿がかなりの晩年の時に生まれた子だから「種」が色々劣化してたんかなぁ?w
晋の皇室で文盲が多いのは自分で読み書きする必要が無かったからではないでしょうか。書物は人に読ませ内容を知り、文書も言葉で伝え書かすことができる地位にいますから。
文学的作品があるのは、素行が悪くて父親から「お前にあとは継がせない。」と言われた司馬彪ぐらいかな。
@@遠江少納言 司馬懿の兄弟は八達とか言われてて、ほぼ優秀だったはずなんですよねえ(兄弟が何人いたはわからないから
全員優秀かはわからない)
司馬懿の息子9人の内7人がはずれとなると司馬懿の嫁が原因???
マイナーではありますが師、昭以外にも司馬懿の六男の司馬駿は軍事、内政共に実績残してます。異民族に対する抑えがメインなので非常に地味ですが
亮は凡人、倫は概ねその通りですね
三国志最強の司馬懿がどうして演義ではへなちょこなのか
演技で司馬懿へなちょこなんて事実は無い
曹丕と司馬懿
信長と秀吉
信長と家康
三好長慶と松永久秀
高杉晋作、木戸孝允と
伊藤井上山縣などの関係は
歴史のIFとして気になりますね。
特に曹丕と司馬懿は最強の2人に
なったと思うんだけど。
曹丕はもう少し長生きしてくれれば曹魏も変わったと思うけど、曹丕は後継者争いで身内を排除し過ぎてしまったとも思う。
あ、これ、前中後編の3部作になるやつだ(推理
10:44合肥(ガッピ)を「ゴウヒ」と読むとは・・・・なんという違和感!
司馬懿は父に厳しく育てられ、
父を恐れていたが、司馬懿の教育はどうだったのだろう、司馬懿の正室が、
側室にうつつを抜かす夫に、ハンストで抗議した際に弟と共に参加し、司馬懿が泣きついて撤回したが、司馬懿の父としての権威はかなり低いと思う。
司馬懿の奥さん、「しばちゅうさん」という漫画の所為で春華(はるか)ちゃんのイメージで固定されてしまった私。
後の賈充ほどではないけど嫁さんの尻に敷かれている感じがします😅
曹王朝も簒奪やし正統なのは、漢のみ。司馬が皇帝になっても元が可笑しいから何でも有りなのでは?
劉備「せやな」
劉淵「せやせや」
あっ、目が飛び出て死んだ人。
投稿お疲れ様です!
しばし待たれよ!
ビールが美味いです!
八王の乱くるかな
中国制作のThree Kingdomでは、高平陵の変の際、兄の司馬師が寝耳に水の話にビックリしてて、弟の司馬昭が最初から計画に参加してましたが、史実は逆だったんですね。
司馬師に男の子の後継者がいたら、後の晋王朝の寿命ももう少し延びたのかもしれませんが、いなかったせいで親戚関係がごちゃごちゃになるんですよね。
休日の夕方に鳥人間さんの新着動画見れて幸せ
面白かったです!
こちらこそ動画を視聴していただきまして、感謝感激です……!!
ご厚意、恐悦至極に存じますッ!!
あれ?「磊磊落落」だった希ガス・・・あ、「豪放磊落」の文献もあるのですね。失礼いたしました。
つまるところ弟の司馬昭が晋公に任命されて以後が晋の時代であり、司馬師は「晋時代の幕明け」を見る事無く死んだと。
0:10 さりげないReckless Fireネタありがとうございます😂 やはりスクライドは男の子のバイブル😁
魏から晋に変わる間も割と激動なので皆が思うほどつまらないとは自分は感じませんでしたね
一番は司馬懿と仲が良かった曹丕が早く亡くなったのが痛かったですね
あと対抗馬の曹爽本人がかなりアレだったというか、ドジ踏みすぎたというか…w
この後の大混乱考えると。
曹操が禅譲を受ける
曹丕が長生きして司馬懿と無双する
のどちらかなら良かったのにと
考えてしまいますね。
高平陵の変で、司馬懿に降伏する曹爽と曹羲兄弟はというと、楽観的に考えていた。
曹爽「司馬仲達殿は、私の権勢を奪いたいと思っているだけだ。
私は解任されたが、侯の地位は失っていないから、今後も富貴でいられるだろう」
桓範「曹子丹は、優れた御方だった…。
だが、お前等兄弟は豚か子牛にでも生まれたのか!
お前等の所為で、族滅の憂き目に遭うとは思いもしなかったわ❗」
………
曹爽「桓範は、何故あんなに苛立っているのか?」
曹羲「さぁ…しかし司馬仲達殿が、我等を本気で殺すとは思えませんが」
そう、「がっぴ」じゃないとしっくりしないんですよ。
私も、「ごうひ」だと「求肥(ぎゅうひ)」っぽく感じちゃってなぁ……
でも正直な話日本語の正しい読みって何なんだろうって思ってしまうんですよね
元々の合肥の読みって中国の発音ですから、[がっぴ]でも[ごうひ]でもないわけで…
夏侯惇が[とん]か]じゅん]かもどっちが正しいってどうやって判断してるんでしょうね